消費行動の最適化

あらゆる消費行動は、今後はAIとに相談してからになるだろう。

AIの合理的な判断より、最適な商品やサービスを得られる。

しかし、個人の欲望には合理性がない場合もあるので、そのあたりの揺れも考慮したAIになるのか。

いずれにしても、商品やサービスの開発はAIのチカラを借りることになるので、AIがなんらかの方法で、開発と選択判断がつながってしまうと、人間の存在自体が危うくなるのではないだろうか。

能力というものが人間の能力を物差しとしているので、いずれにしてもAIの拡張や拡大にからすれば、些末な機能になるのは時間の問題かもしれない。

知的能力において機械に劣るのであれば、人間の判断などは必要ないので、遊びや趣味的なものとしては残るが、いままでのように生産や思考、思想などは主流な活動ではなくなるであろう。

不完全なものとしての面白さのみ残るのか。

映画

映画は映画館でスクリーンで見るものだった。

テレビでも見られたけど、時間が決まっていたり、CMが入ったりカットされていた。

DVDが出て、コレクションも出来るし、何度でも見る事ができるようになった。

今、インターネット配信で、どこでも、何度でも、好きな所だけでも見られる。

昔の人の何倍も、何十倍も映画を見ている。

それは昔の感覚からすると映画を見たことにならないのかもしれない。

しかし内容は分かる。

50年

織田信長も言った。

50年というのは人間の大きな区切りかもしれない。

50年までに何とかしろ。

50年で一度終わるつもりでやれ。

その先は分からない。

ただ、そこからまたスタートに戻る。

若かった頃にくらべたら、苦しいスタートだ。